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2010年5月29日 (土)

普天間問題について ~日本はいずれ沖縄を失うだろう~

政治が力と損得を扱う活動である以上いわゆる「飴と鞭」(籠絡と恫喝)を手段とすることはある程度は仕方のないことだ。問題となるのはそれが相手を自分の望まない方向へ押しやる結果につながる場合だ。例えばアメリカの中東政策はイランやイラクを軍事化し、同時に独裁と腐敗それに強引な近代化の結果として民衆の反米感情を産み育てた。
日本が(正確には東京の親米保守派の官僚・政治家・資本家、以下では“東京政府”と呼ぶ)沖縄に求めてきたのは、米国の覇権が東アジアを覆っていることを誇示するための巨大な迷惑施設(在日米軍基地)を一手に引き受けることであり、その対価はいわゆる「公共事業」などの予算バラマキであった。しかしこのやり方は沖縄に対してはあまり有効とは言えない。
ダム・道路・港湾・空港などの「公共工事」が歓迎されるのはそこが「僻地」や「離島」である場合である。そう言った人・物・金・情報の国内ネットワークの末端に位置する地域は単なる豊かさの再配分でなく中央とのコネクションの強化こそを何より渇望する。

しかし沖縄は「僻地」(末端)ではなく中継地である。
沖縄の世論を見て本土のそれと違うなと感じるのは「中国の脅威」に対する警戒感の差である。本土にいるとマスコミ報道に洗脳されているために、ウィグルやチベットで残酷にふるまう北京政府のやり方や急速な軍事大国化に不安を覚えるが、沖縄にとっては今そこにある在日米軍の横暴さや東京政府の沖縄に対するぞんざいな扱いへの怒りの方が大きい、そう言うことなのだろうか。いやそれだけではないと思う。沖縄にとっては日本も中国も厄介な隣人(近隣の大国)である。複数の文化圏の境界に位置する小国が繁栄する道は交易の中継地としての役割であり、かつての琉球王国はまさにそのようにして栄えた。軍事進攻や圧政のリスクはもとより承知の上、日中との共存の中にしか沖縄の活路は無い。沖縄が欲するのは日中の仲立ちとしての役割をはたしその経済的恩恵に与ることであり、最も恐れているのは「本土の盾」として沖縄を焦土と化した第二次世界大戦の二の舞になることであろう。
だから、沖縄を単なる「僻地」とみなしそこに住む人々を同化することしか考えない、そして軍事基地ばかりを押しつけている東京政府のやり方は沖縄人の心をつかんでいない、そう思う。

マキャヴェッリやクラウゼヴィッツを持ち出すまでもなく、平和な時代における「戦争に備える」政治とは、味方を増やして敵を減らすこと、経済を富ませ資源や戦略拠点を確保し適切な規模の軍備(過剰であってはならない)を整えることだ。和戦両様の構えで軍備近代化を進めつつ、一方では巨大な国内市場の開放をチラつかせることで近隣諸国の経済的取り込みを図る北京政府のやり方はまさしくそう言った古典的な外交戦略を巧みに実行しているように見える。(あくまで外から見た印象であって内実は火の車なのかもしれないが。)

一方、東京政府はかつての冷戦構造の再現を期待して米中軍事対立を演出するばかりで影響力を失いつつある。今はまだ平和な時代であるのに軍事脅威を声高に叫ぶことで逆に敵を増やしてしまい、資源や戦略拠点の確保がすすまない。これではいくら軍事力を強化しても不安が増すばかりだ。このまま行けばいずれ日本は沖縄も失うだろう。

50年後の日本は、沖縄もその他の島嶼も日本近海の海洋資源へのアクセスも失い、外堀を埋められた大阪城よろしく海岸線の12海里先に中国艦隊を見ながら本土決戦の準備をしているのだろうか?

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