経済・政治・国際

2012年12月 2日 (日)

ツイートまとめ(2012-12-01)

<原発廃止と核燃再処理に関するツイート、2012-12-01>
「反原発?だったら廃炉&使用済み核燃料処理はどうする?」ってのは無理筋。処理が困難だからこそ、これ以上発生させるのを止めねばならない。当たり前のことなんだが…。実は推進派自身もこの問いに対する回答を持っていない。再処理すれば核燃料が消えると言うトリック(屁理屈)に頼っているだけ。

原発を廃止するには核燃再処理を停止すれば良い。再処理しない核燃料の受け入れ先はないので原発敷地内に保管するしかないが、地元に対しては「核燃料は全て搬出する。廃炉後は解体撤去する。」と説明してきた為約束違反になる。要するに日本中のどの県も使用済み核燃料の処分先にはなりたくないのだ。

<核武装論に関するツイート、2012-12-01>
プルトニウム爆縮型の核爆弾ってのはうまく爆発させるのが難しくて、例えばインドの最初の核実験は爆縮不十分・早期臨界で大量の未反応Puをぶちまけたとか。今ではシミュレーション技術とかが進歩しているとは言え、きちんと爆発することを実証して抑止力(恫喝)に使うには核実験が一番効果的。

核爆弾に少量含まれる様々な核分裂性核種は自発的に崩壊して別な核種に変化して行く。だから爆弾の組成は時間と共に変化する。この中にはPu238より不安定(臨界を起こしやすい)核種があるため古くなった核爆弾は早期臨界(不完全爆発)を起こす可能性がある。各国が核実験を繰返したのはこの為。

と言うことで核武装には核実験が不可欠。さて、どこで爆発させる?沖ノ鳥島?沖縄のどこか?尖閣?竹島?福島?紛糾する事必至だ。

<同じく、2012-11-30>
「日本は核武装すべき」と言っている人に聞きたいのだが、どこで核実験をする気だろうか?日本にはシミュレーションだけで核爆発を保証する技術はない。加えてプルトニウムは崩壊によってどんどん変化するので、古くなった爆弾の動作も確認しなければいけない。どこでやるのか?福島?どこかの離島か?

<経済の変調と新自由主義批判のツイート、2012-12-01>
メディアへのクロスオーナーシップ規制や電波オークションと、解雇規制や最低賃金制の撤廃は”規制緩和”と言っても意味が異なる。前者は「新しいビジネスをやりたいから邪魔を止めて欲しい」だが後者は単に労働費を値切りたいだけ。財界もアイディアが枯渇しているのではないか?

「上場企業の7割が法人税を納めていないのだ」(http://blogos.com/article/6824/ )世界中で経済に対する政府の力が及ばなくなっている。それなのに新自由主義にかぶれたマスコミは「より一層の規制緩和を…」と連呼する一方で「政治にはリーダーシップが必要」と矛盾した事を言う。

<福一事故に関する報道、2012-12-01>
「我々は前例のない調査をしているのだ」~「減る鳥・昆虫…奇形も福島原発周辺で異変」(TBS報道)の衝撃 (http://blogos.com/article/51485/ )「前例がない」は正確な言い方。福一事故がどれくらい危険か本当の所誰も分からない。だからこそ用心すべきなのに「危険はない」は酷過ぎる。

<橋下の「自分勝手」発言について、2012-11-30>
何故、瓦礫焼却処理が「自分勝手」にすり替えられるのだろう?放射能管理の基本は「封じ込める」「遮蔽する」「距離を取る」。わざわざまき散らすのは馬鹿かキチガイのやることだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月 9日 (日)

中国語を義務教育必修科目とせよ

中国はもはや世界第二位の大国だ。

昨年(2010年)初頭にはASEAN諸国と自由貿易協定を結んだし(http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0105&f=column_0105_002.shtml、日本のPTT騒動はこれに慌てた結果のようにしか見えない、バカな話だ)、インド洋に海軍基地を設けアフリカ進出を図り、世界中の資源、土地、水、食料を買い占めんばかりだ。

兵器の近代化だけでなく、海軍将兵の実力も伴ってきたと聞く(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1598)。

国内の不平等や不満も相当らしいが、そういった怒りの矛先が日本へ向くのも一部は(全てとは言わない)戦後処理をきちんとやって来なかったことのツケでもある。

日本が排他的経済水域を主張する200海里海域に関しても大陸棚資源は大陸国のものと主張し(http://ja.wikipedia.org/wiki/東シナ海ガス田問題/)による琉球王国併合を不当として沖縄の領有権まで主張するようになった(http://sankei.jp.msn.com/world/china/100919/chn1009192131008-n1.htm)。

こうなると尖閣諸島の小競り合いなどゴングがなる前の睨み合いにもならない。

さあ、この厄介な隣人にどう対処すればよいのだろう?

スティルス戦闘攻撃機?

巡航ミサイル?

航空母艦?

陸自の水陸両用戦対応(海兵隊化)?

弾道弾防衛構想?

原子力潜水艦?

それとも核武装?

あなたならどれを選ぶだろうか?

まぁ、軍オタ的妄想は楽しくは有るのだが危なっかしい、それよりももっと賢くて長期展望にたった予算の使い方がある。

それは、義務教育で中国語を必修外国語とすることだ。

「中国は何をするか分からない怖い国だ」と言うのであればまず相手を知ることからはじめるべきではないのか。

考えても見て欲しい。世界人口の1/4は中国語を話す。中国は米国に次ぐ大国だ。そして、日本からの距離は米国よりもはるかに近い。さらに、日中の経済的なつながりも強い。だから、英語以上に中国語教育を重視してもおかしな事は何も無いはずだ。

「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」とは言い古された言葉だが、古代でも現代でも兵器の性能などより情報の方が戦いを決することに変わりは無い。

「『敵を知る』のであれば、中国専門家を育成するとか、シンクタンクや研究機関を設置する、と言ったやり方もあるのではないか?」、そう思われた方もいるかも知れない。おそらく、今後そういった予算は増え、自称中国通の発言も多くなるのだろう。しかし、彼らの言葉をだれがどうやってチェックするのか?と言う問題が残る。

国際政治学者や外交官の発言は自分たちの知識やコネクションを商売道具にしている以上、どうしてもバイアスがかかる。つまり、「○○は危険な国だ」(○○脅威論)もしくは「××をうまく利用することが出来る」(××ハンドラーズ)の両極端になりがちだ。

彼らの作るリポートや、それらに基づく報道など間接的な情報ばかりに頼っていると、いつの間にかこう行った政治勢力の造った「状況」の中に取り込まれてしまう可能性がある。

だから、我々市民は市井の情報、いわゆる「市民感覚」と言うやつでプロフェッショナルの発言をチェックしていく必要が有る。

しかし、今の日本人の中で間接情報によらず中国語のニュース、新聞、HP、等を自分で見たり読んだりしている人は何パーセントいるだろう?中国人の友人から政治的な本音を聞ける人はどれだけいるだろう?そう考えると、今からでも中国語を勉強しなくてはいけないな、と強く感じるようになった。

(ついでに言っておくと、日本の政府は尖閣諸島で何が起きたかさえ自国の市民から秘密にしようとする有様で、これでは「己を知る」こともおぼつかない。)

中国語教育は「親中派を増やす」ことを意味しない。相手を理解したからと言って仲良くなれる保証は無い。知れば知るほど嫌な奴だと判る場合も、利害対立が解消できないことがはっきりすることだって有り得る。そうであれば、敵対する道もやむを得ないかもしれないが、少なくともそれは我々市民が自分の判断で決定すべきことであり、一部の官僚や政治家の言葉を盲目的に受け入れることは市民としての重大な責任放棄である。

何を悠長な!と言う無かれ。今すぐはじめれば10年後には中国語教育を受けた世代が社会人になる。次期主力戦闘機FXの耐用寿命は30~40年が想定されていることを考えれば決して遅すぎることはない。

敵を知らず(英語を敵性語として忌避し、研究者や海外を知る者の批判的発言を許さなかった)、己を知らず(軍事機密と称して情報を隠蔽し大本営発表を繰り返した)、悲惨な敗戦へと転がり落ちていった第二次世界大戦の失敗を繰り返してはならない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年6月 2日 (水)

ネット規制はどこに向かう?

いったいどうなっているんだ?
ネット選挙解禁と平行してこれだけの改悪の動き・・・

ディープパケットインスペクションを容認?
http://www.asahi.com/business/update/0529/TKY201005290356.html

放送法改正(改悪)
http://www.videonews.com/asx/interviews/100528_sunakawa_300.asx

警察はブロッキング強化を要請している
児童ポルノ接続遮断「早期実現を」=アグネス・チャンさんが提言-東京(2010/05/27 18:38   【共同通信】)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010052700809

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010年5月29日 (土)

普天間問題について ~日本はいずれ沖縄を失うだろう~

政治が力と損得を扱う活動である以上いわゆる「飴と鞭」(籠絡と恫喝)を手段とすることはある程度は仕方のないことだ。問題となるのはそれが相手を自分の望まない方向へ押しやる結果につながる場合だ。例えばアメリカの中東政策はイランやイラクを軍事化し、同時に独裁と腐敗それに強引な近代化の結果として民衆の反米感情を産み育てた。
日本が(正確には東京の親米保守派の官僚・政治家・資本家、以下では“東京政府”と呼ぶ)沖縄に求めてきたのは、米国の覇権が東アジアを覆っていることを誇示するための巨大な迷惑施設(在日米軍基地)を一手に引き受けることであり、その対価はいわゆる「公共事業」などの予算バラマキであった。しかしこのやり方は沖縄に対してはあまり有効とは言えない。
ダム・道路・港湾・空港などの「公共工事」が歓迎されるのはそこが「僻地」や「離島」である場合である。そう言った人・物・金・情報の国内ネットワークの末端に位置する地域は単なる豊かさの再配分でなく中央とのコネクションの強化こそを何より渇望する。

しかし沖縄は「僻地」(末端)ではなく中継地である。
沖縄の世論を見て本土のそれと違うなと感じるのは「中国の脅威」に対する警戒感の差である。本土にいるとマスコミ報道に洗脳されているために、ウィグルやチベットで残酷にふるまう北京政府のやり方や急速な軍事大国化に不安を覚えるが、沖縄にとっては今そこにある在日米軍の横暴さや東京政府の沖縄に対するぞんざいな扱いへの怒りの方が大きい、そう言うことなのだろうか。いやそれだけではないと思う。沖縄にとっては日本も中国も厄介な隣人(近隣の大国)である。複数の文化圏の境界に位置する小国が繁栄する道は交易の中継地としての役割であり、かつての琉球王国はまさにそのようにして栄えた。軍事進攻や圧政のリスクはもとより承知の上、日中との共存の中にしか沖縄の活路は無い。沖縄が欲するのは日中の仲立ちとしての役割をはたしその経済的恩恵に与ることであり、最も恐れているのは「本土の盾」として沖縄を焦土と化した第二次世界大戦の二の舞になることであろう。
だから、沖縄を単なる「僻地」とみなしそこに住む人々を同化することしか考えない、そして軍事基地ばかりを押しつけている東京政府のやり方は沖縄人の心をつかんでいない、そう思う。

マキャヴェッリやクラウゼヴィッツを持ち出すまでもなく、平和な時代における「戦争に備える」政治とは、味方を増やして敵を減らすこと、経済を富ませ資源や戦略拠点を確保し適切な規模の軍備(過剰であってはならない)を整えることだ。和戦両様の構えで軍備近代化を進めつつ、一方では巨大な国内市場の開放をチラつかせることで近隣諸国の経済的取り込みを図る北京政府のやり方はまさしくそう言った古典的な外交戦略を巧みに実行しているように見える。(あくまで外から見た印象であって内実は火の車なのかもしれないが。)

一方、東京政府はかつての冷戦構造の再現を期待して米中軍事対立を演出するばかりで影響力を失いつつある。今はまだ平和な時代であるのに軍事脅威を声高に叫ぶことで逆に敵を増やしてしまい、資源や戦略拠点の確保がすすまない。これではいくら軍事力を強化しても不安が増すばかりだ。このまま行けばいずれ日本は沖縄も失うだろう。

50年後の日本は、沖縄もその他の島嶼も日本近海の海洋資源へのアクセスも失い、外堀を埋められた大阪城よろしく海岸線の12海里先に中国艦隊を見ながら本土決戦の準備をしているのだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月 3日 (木)

事業仕分けについて、もう一言

ピーターの法則と言うのが有る。
階層社会では、すべての人は昇進を重ね、おのおのの無能レベルに到達する。だから、階層社会の上の方は、無能な人であふれ返ってしまう。というものだ。

これに似た言い方をスパコン問題等について適用すると、以下のように言えるかもしれない。

「全ての生き残っている国策プロジェクトは予算の無駄遣いである。なぜならば、うまく行きそうなプロジェクトにはアメリカ政府の横やりが入って、潰されるか共同開発と称して横取りされるからである。」

TRONプロジェクトとか、F-2支援戦闘機とか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月29日 (日)

事業仕分けに関するひとこと

事業仕分け、と言うやつがかなり話題というか問題になっている。やれ、FX、スパコンから漢方薬の健康保険適用除外まであれこれ。ノーベル賞受賞研究者や元宇宙飛行士までが擁護に担ぎ出されている。
個々の問題については、技術的+経済的+政治的な複雑な問題であるから、とても素人がジャッジできないようなややこしい問題が多いのに、素人のネットオタクから著名な経済学者や評論家まで、百家争鳴である。
ただ、それぞれの分野に詳しい専門家と言うのは同時に利害関係者でもある場合がほとんどであるから、この問題はとてもたちが悪く、素人が口出しせざるを得ない訳だ。

ここでは具体的な事項に関する議論はしないが、一番心配なのは、採算性とかわかりやすい成果にばかりとらわれて、本来「公共」が為すべきことは何なのか?がなおざりにされることである。

下記HPに挙げられていることがほぼ私の見解と重なるのでそちらを見てほしい。

以下、引用。
--------------------------------------
正直な気持ち:
「事業仕分けはあくまでも慎重に!! 」
http://blogs.yahoo.co.jp/cook402000/57867105.html

国民へ公開と言う違いはありますが、全体のフレームとしては、財務省の強いイニシャティブを感じますね

公共性がしばしば、天下りや族議員の隠れ蓑、無駄使いの温床として使われていることが事実であっても、だからと言って公共性や公的な役割を安易に廃止するなど無視をする理由にはならないということです。非効率な面があるのであれば、その効率化を目指すことが肝要だと思います。

行政刷新会議及び事業仕分けグループに配置されている「小さな政府」思考の市場原理主義者、新自由主義者の存在がその懸念材料である。

--------------------------------------
世に倦む日日:
「基準と意味のスリカエ - 事業仕分けは官僚の無駄の根絶とは」
http://critic6.blog63.fc2.com/blog-entry-185.html

ところが、現在市ヶ谷の国立印刷局(財務省)体育館で行われている事業仕分けでは、仕分けの対象にされている理由は、
(1)赤字で採算性が悪い
(2)費用対効果が十分でない
(3)民間に任せられる、
、等々である。

国の事業というのは儲からなくてはならず、黒字を出して利益を上げろという主張に他ならない。逆ではないか。採算に合う事業ではないから国がやっているのである。今回の事業仕分けを支配しているクライテリアは、受益者に負担させ、国の持ち出しを減らし、社会保障や文教予算を縮減して身軽になろうとする「小さな政府」の論理と志向である。官僚の無駄を削るはずの仕分けが、国民の生活や国家の未来を削る仕分けに転化している。  

引用終わり
--------------------------------------

一言だけ補足しておくと、いわゆる「民営化」と言うやつを私はあまり信用していない。国鉄→JR、電電公社→NTT等の巨大組織の解体から自治体事業の民間委託(ゴミ収集とか)に至るまで、政府が現業部門を切り捨てて企画立案・管理機能だけに特化することは、少人数のスタッフで大きな予算を執行できると言うだけのことであり、「正社員」の公務員は少なくなるが予算規模は小さくならない。「民営化」された現業部門は「民間企業」と言うことになり、予算や議会の影響が及ばなくなり透明性は低下する。「小さな政府」の正体とはこう言ったことだ。
我々がなぜ、見ているか否かにかかわらずNHKの受信料を払わねばならないか?なぜいつまでたっても高速道路が無料化されないか?を考えてみれば、こう言った似非「政治改革」が「見えない税金」を増やすばかりであることが分かると思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 8日 (水)

提案 ~児童ポルノ規制法強化に関して~

前回の記事で以下の問題点を指摘した。
・規制内容が広範囲かつ曖昧である
・単純所持の禁止によって冤罪・違法捜査の危険性が高まる
・過去に訴求した単純所持の禁止は一種の焚書(過去情報の抹消)であり、歴史記録の抹殺を一般市民に強要する暴挙である
・仮想・創作への規制は内心の自由への侵害であり、「考えただけでは罪にならない」とした近代刑法の原則から大きく逸脱するものである
・科学的・客観的な証拠が提示されていない

もしも児童ポルノ規制の強化がどうしても必要であると言うのであれば、これらの問題を防ぐため以下のことが必要である。

提案
・電脳警察の肥大化を食い止める
児童を守ると言う本来の目的を権限強化や予算獲得、さらには市民監視の手段として利用してはならない。警察の任務は現実世界での治安維持と犯罪取り締まりであり、仮想世界を倫理的に浄化することではない。ネット上の監視や作品の検閲(倫理上の適正性の判断)等のために警察および警察OBが関与する天下り組織にこれ以上の権限と予算を与えてはいけない。ゲーム・アニメ・コミックに関する政策は文部科学省(文化・教育)、通商産業省(コンテンツ産業育成)、ネットに関する政策は総務省(情報通信)が担当すべきではないだろうか。

・曖昧な規制の禁止
単純所持禁止と仮想・創作への規制に隠れてきちんと議論されていないようだが、警察は実質的な規制レベル(年齢・服装等)の強化も同時に進めようとしている。現状はおよそ以下のような状態であると思う。(△は実質取り締まられていないグレーゾーン)

          -15  15-17 18-
------------------------------------------
AV      ×     ×     ○
ヌード  ×     △     ○
(*)    △    ○      ○
水着    ○    ○     ○

(*):下着、Tバック、扇情的な姿態、その他きわどいもの

規制派の主張をみると17歳以下はすべて×と言うことが既成事実のように語られているのだがこれは正しくない。もしも”Santa Fe”が違法であるならば現時点でも警察が古書店やネット上の掲示を取り締まっているはずである。規制レベルの強化を進めるのであればそれは法律の改正に明記すべきである。
3号ポルノの曖昧で包括的な定義に基づいて警察の恣意的な裁量で取り締まりが行われていることが問題の根底にあり、これは罪刑法定主義に反するものである。児童ポルノとは何か、については具体的で詳細かつ曖昧さのない定義を法律の中で行うべきである。

・過去訴求の禁止
今後もしも単純所持禁止が実施され、さらに前項の規制内容強化が行われたとしても過去訴求は禁止すべきである。すなわち、「法律の施工開始以後に製造されたこと、もしくは2009年6月以前の時点で明らかに違法でありかつ実質的な取り締まりが行われていたこと」を警察が立証できるもののみを取り締まり対象とすべきである。

・別件捜査と自白強要の禁止
「家宅捜索で児童ポルノを発見し、『性的関心を満たすため』との自白をとれば警察の勝ち」との乱暴な捜査を防ぐため、以下のルールを明記する。
(1) 逮捕・家宅捜索の理由となる容疑事実と、その結果発見された証言・証拠の双方ともに児童ポルノ法違反でない場合は、証言・証拠を無効とする
(2) 所持目的の立証は自白によらない

・押収証拠の保全
現代においてコンピューター・携帯電話などは生活・業務に必須のものである。その中には個人のプライバシーその他の生活・業務に関するあらゆる情報が収められている。その情報量は膨大であり、持ち主といえどもすべての内容を把握することは不可能である。その一方で電子情報は改ざんが容易である。
これらのことから、押収したコンピューター・電子媒体等を警察・検察側が保管することは被疑者・弁護側にとって著しく不利である。
そのため、以下の二点を求める。
(1) コンピューター・電子媒体・携帯電話などは中立の組織により保管し、警察・検察側と被疑者・弁護側双方にアクセスする権利を認めること
(2) 捜査、裁判、刑の執行終了後の押収品の返還を保証すること

・根拠のない仮想・創作への規制は行わない
3年後のアニメ・コミック・ゲーム等の仮想・創作への規制見直しについては、それらが犯罪を誘発すると言う客観的・科学的で明確な証拠が見つかった場合以外は行わない。

<参考リンク>
http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/1572f2517ac43bbc0a7706c4bb485921/1a

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 3日 (金)

論点整理 ~児童ポルノ規制に関して~

以下、児童ポルノ規制強化に関する私なりの論点整理をする。

1.「考えただけで罪になる」は正しいか?
近代刑法では「考えただけで罪になる」ことはないと学校で習った。具体的に計画を練るとか武器を調達するとかすれば未遂になるし、「殺してやる」などと言えば脅迫になるが、「殺したい」と思うだけでは罪にはならない。このことは単純所持の禁止や架空・創作への規制において問題となる。
そもそも自分の考えを書き留めただけでも犯罪になるのだろうか?例えば画家が子供の全身像を描く過程で服の下の肉体を詳細にデッサンしたらその時点で児童ポルノの製造になるのだろうか?
紙や電子メディアにアイディアを表現・記録することは、人に伝えるためだけでなく自分の考えを形作り確認するためでもある。これらのメディアは人間の頭脳の延長であり、記録と所持の禁止は思考の禁止に近い。故にこれは言論・表現の自由の侵害だけでなく、思想・信条の自由への侵害でもある。

2.客観的な根拠が示されていない
「考えただけ、あるいは考えを記述して保存しただけ」で罪になると言うのは現在の刑法の体系からの大きな逸脱でありこれを押し通すには相当な根拠と緻密な議論が必要だが、これまでのところ客観的な根拠が何も示されていない。「日本は児童ポルノの発信源」「児童の性的被害が増大している」等の言葉は繰り返されているが、例えば「児童ポルノサイト数○○のうち日本は○○%」とか「押収された児童ポルノのうち○○%が日本で撮影されたもの」などの具体的に基づいた説明がなされていない。
さらに「架空・創作を含めた児童ポルノが児童に対する性犯罪を誘発する」とするには大規模な心理学的調査が必要だが、いったい誰がいつ何処でどんな調査を行ったのだろうか。
これらの疑問に対して具体的な根拠を示すことは法案提案者・推進者の義務である。

3.「何が違法になるのか」具体的な情報が示されていない
保坂展人議員が宮沢りえの「Santa Fe」を例に挙げたのは適切だった。
http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/
指摘されて初めて児童ポルノ規制法強化の対象が広範であることに気づいた。15歳~17歳の水着姿もポルノに当たるのか?どんな構図やポーズが「性欲を興奮させ又は刺激するもの」になるのか等々、法律が成立してからではなく現在のこの段階で具体的に示すべきである。

4.不当逮捕・不当捜査の危険性
例えば草薙剛のケースが記憶に新しい。この場合「酒に酔って裸で暴れた」と言う容疑事実を固めるためにどうして家宅捜索が必要だったのか、捜査令状の具体的内容を検証した報道に出会ったことがない。「覚せい剤でも出てくれば見つけもの」と言う見込み捜査だったのだろうか。
おとり捜査や違法画像添付メールを送りつけるなどの危険が指摘されているが、それ以前に「家宅捜索して何か出てくれば警察の勝ち」と言う乱暴な捜査手法を奨励することになるのが恐ろしい。

5.歴史の抹殺
所持禁止は焚書と同じ効果をもつ。簡単な事実だけを文字で記録することは可能でも具体的な写真や動画あるいは詳細な絵などを残すことが許されない場合、歴史を鮮明なイメージとして記憶することは困難になり、人々はわずか数年前のできごとさえ曖昧な形でしか思い出せなくなる。
例えば「Santa Fe」の広告を載せた新聞の縮刷版や当時のスポーツ新聞も処分しなければいと仮定する。そもそもの問題はここ数十年の間、十代なかばの少年少女にかなり際どい服装、踊り、歌詞、演技などをさせてきた芸能界や、かれらを性的興味の対象としてもてはやしてきたマスメディアに起因する。そして卑猥な内容のスポーツ新聞や週刊誌を電車の中で平気で広げるような日本の大衆文化にも原因の一端がある。そんなことがつい最近まで当たり前であったと言う社会の雰囲気、それが突然違法化されると言う異常事態、こう言った激動を鮮明なイメージで具体的に記録することが許されなくなるとしたらそれは歴史の抹殺である。
ベトナム戦争の悲惨さを世界に伝えたピューリッツァー賞受賞写真「戦争の恐怖」(http://blog.goo.ne.jp/goo1234makito/e/de89950933f98dfa87159d1f44b1defc)も児童ポルノになるのだろうか。戦場やテロの映像には裸の児童や子供の遺体が写っていることも多い。それらは戦争・テロ・犯罪の残酷さを示す貴重な証拠である。児童ポルノ規制法は運用次第では検閲の手段となり、戦争や圧政などの負の記憶を抹殺するものとなる。
一度破壊された記録は戻せない。歴史を抹殺したら日本人はもはや自らの歴史に責任を持てなくなる。

6.欲望を無意識下に閉じ込めることはかえって危険ではないのか?
精神分析やカウンセリングでは無意識化の願望や恐怖を自分で表現して理解することが治療の前段階だと聞いている。小児性愛の傾向をもつ人が自らの特異な嗜好を具体的に理解せず欲求を抑圧して生きていくことは危険ではないのか。自分の欲求を誰かに知ってもらいそれが過ちであれば制止してもらう機会を奪うことにならないか。小児性愛者もまた生きる権利や、適切な診断と治療を受ける権利を持っている。彼らを地下に潜らせてはならない。
小児性愛や弱者への虐待は支配欲や征服欲に近いものである。心の中にそのような邪悪だが強力な駆動力を抱えた人物は、時として優れたリーダーシップを発揮したり先駆者になったりすることもあるが、一方で同僚・部下・家族・友人にとっては危険で厄介な猛獣のような存在にもなると言う。彼らへの診断と治療は、同時にDVや職場・学校におけるパワーハラスメント等の一見無関係な犯罪の防止にも役立つ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月26日 (金)

妄想を狩るべきか? ~児童ポルノ規制法改正に関して~

またキナ臭くなってきた。

私は児童に対する性的虐待には大反対だし、こう言ったポルノグラフィーについては何らかのコントロールが必要だろうとは思っている。(「規制」=「禁止」と言うニュアンスが強いが、この場合もう少しべつなやりかた、細かなレーティングとか流通規制とかの方が有効だろうと思う。)
しかし、特に単純所持の一律禁止やバーチャルの禁止には反対だ。理由は三つある。
一つ目は、恣意的な取り締まりや冤罪の危険性。
二つ目は、そもそもこれは個人の心の問題であり具体的な被害者が存在しないのになぜ犯罪になるのかということ。
これらについてはネットで多くの意見が出されているのでここでは触れない。

三つ目はもう少し心の奥の問題になる。それは人の心に巣食う邪悪な妄想を否定し、それを表現することも見ることさえ禁止することが、本当に問題解決につながるのか?と言う疑問だ。

人の中には衝動的な悪意や肉体的な欲望、利己的な動機や他者に対する冷酷さと言うものがある。それらに具体的なイメージや実行方法を与えることは確かに危険なのかもしれないが、その一方で意識から追い払って自分には関係のないことのように考えることでも克服できない。例えばあなたがカウンセラーだとして、邪悪な妄想に抱えた患者の相手をするとしたらどうするだろうか。とりあえず心の中にあるものを表現させて、原因を追究し、それから対処法を一緒に考えるだろう。少なくとも頭から否定するようなことはしないはずだ。
邪悪なアイディアを思いついた子供に対して「ダメ、絶対ダメ!そんな恐ろしいことは喋ってもいけないし考えてもいけません!」と言う親がいたらどうなるだろうか。邪悪な想念は心の内側に向かい深く沈潜し、別なものに変化し、大人になった彼もしくは彼女をもっと危険な存在に変えてしまうかもしれない。
児童性愛や性的暴行を扱ったポルノグラフィーと言う邪悪な妄想を取り締まることは容易だ。しかしそれらの妄想を刈り取った後にはモヤモヤした暗く深い空洞が残る。児童ポルノ取締り強化を主張する人々はこの空洞をどのようにして埋めるかきちんと考えているのだろうか。本来、弱者に対する性的暴行と言う妄想は支配欲や征服欲に近いものだから、それらは軍国主義や民族主義、あるいは宗教的狂信などによって容易に利用されうる。女性の権利を認めないような社会で、そう言った集団が力をもち内戦や専制支配が横行するケースが多いことを思い出してほしい。
アーシュラ・K・ルグインの「影との戦い」(ゲド戦記と言った方が通りは良かろう)では主人公が禁忌の魔法で呼び出した「影」の正体は彼自身の邪悪な心であり、その事実を認め再統合することで物語が終わる。
児童ポルノグラフィーは邪悪であるが、バーチャルな物はたかが妄想である。妄想を禁止しても得るところは少ない。それよりも妄想の裏にあるわれわれ自身の心を理解し、より良い生き方を探す手がかりとすることのほうが大切である。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

アニメ・コミック | 経済・政治・国際 | 軍事